再帰的憂鬱

140字では短過ぎるが、noteに纏めるほどもない自省、独語

M.ウェルベック『セロトニン』第一所感

 医者に診てもらっているが、相変わらず肺炎が酷い状態。間欠泉的に起きる喘息の発作が胸を破りかねない勢いだ。咳のし過ぎで後鼻孔のあたりからの出血がいつまでたっても止まらず、ティッシュが恐ろしい有様になっている。幸いにもまた連休を取得しているため、じっくり時間をかけて治していこうと思う。

さて、連休の暇に飽かせてミシェル・ウェルベックの『セロトニン』をきっちり読み終えた。以下に感想をだらだらと書いていく。ネタバレ注意な。

セロトニン

セロトニン

 

 既に知っている人もいるとは思うが、ひょっとしたら私と直接の面識の無い方がこの覚え書きに辿り着く可能性も否定できない(否定したくない、私が否定できる人間ならそもそもこんなブログなんて始めやしない)ため、この場で改めて意見表明を行いたい。

私はウェルベックをこの21世紀初頭を代表する知の巨人だと思っている。より黴臭い表現に頼れば、フランス共和政という一つの価値観、鼻持ちならないが*1確かな中身を伴った文明的中心地が凋落を余儀なくされる現代にあって、彼は時代精神を正しく切り取ってみせてくれる、トーマス・マンにも比肩し得る作家であると確信している。

東西冷戦の終結直後、情報通信技術の恐竜的進化が自由恋愛(「恋愛資本主義」)の大洪水を生み出しつつあった時期を描いた『闘争領域の拡大』。シンプルな構造のストーリーの上に、一番自分の身に引きつけて考えることが出来たお気に入りの作品だ。

 ポスト冷戦期に世界を覆い尽くしたグローバル化とクローン技術の進歩がもたらす未来を黙示録的に示した『素粒子』とその続編っぽさがある『ある島の可能性

素粒子 (ちくま文庫)

素粒子 (ちくま文庫)

 
ある島の可能性

ある島の可能性

 

 グローバル化EU経済圏の拡大とそれに伴うイスラム教徒の流入がもたらしつつある「キリスト教文明圏としての西欧の没落」とその渦中におかれた知識人の心理を描いた『服従』。大した話でもないんだが、よりによって作品の発売日にシャルリー・エブドのテロが起きて妙な印象を残す作品になってしまった。

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

 

 上に挙げた本が私が今までにきちんと読了した作品だ。他にも『プラットホーム』などの作品を図書館で見つけて手に取りはしたが、あまりにも露悪的な作風にげんなりとしてしまって読み終えることができなかった。自己批判をするにももう少し作法というものがあるだろうというのが感想だ。当然購入もしていない。

ところでウェルベックは本邦の村上春樹の作風との類似性を指摘されることが多いらしいね。でも似ているところなんてセックスの登場頻度とその扱い方くらいなもんじゃないかな?物語の語り手に客観的視点を持たせて、主人公の友人やモブキャラへ同情的な目線を設けることを重視しているってのはウェルベック自身が述べていることだけど、それは別に村上春樹的な透明感とは全く別種の手法だと思う。それに村上春樹の作品の主人公たちは大抵匂いも影もなさそうな連中だろう?ウェルベックの作品の語り部たる、コンプレックスに塗れて、疲れ果て、年齢不相応に擦れた性格した、どう考えてもセックス依存症患者としか思えないような青壮年男性たちとは似ても似つかないじゃないか。(適当言って申し訳ない、実を言えば私は村上春樹を真剣に読んだことは一度だってないし、この日記だって泥酔しながら書いている) 

閑話休題。話を『セロトニン』に戻す。くそったれ、肺が痛い。

発売から2か月程経過したし堂々とネタばらしをさせてもらうが、この作品は前評判通りかなり強めの「原点回帰」を起こしている。シナリオ構成や登場人物たちの配役を踏まえると、どうしてもデビュー作『闘争領域の拡大』を想起してしまう。他の作品で見受けられた露悪性や過度の冷徹さはあまり感じられず、登場人物たちや彼らを取り巻く困難な環境への同情や哀感といった感情を看取出来る。時局柄か、むしろ以前より強化されているくらいだ。

いずれにせよ、手遅れなんだ。いいかいラファエル、セックス面における敗北を君は若い頃から味わってきた。十三歳から君につきまとってきた欲求不満は、この先も消えない傷跡になるだろう。たとえ君がこの先、何人かの女性と関係を持てたとしてもーはっきりいってそんなことはないと思うけどーそれで満たされることはないだろう。もはや、なにがあっても満たされることはない。君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。君には救済も、解放もない。そういうことさ。しかしだからといって復讐の道さえ閉ざされているわけではない。(M.ウェルベック『闘争領域の拡大』)*2

 この長広舌は『闘争領域の拡大』において、主人公が異性と絶望的に縁の無い醜い同僚ラファエル君の傷心にメフィストフェレスの如く毒を盛る名シーンの一部だ。このパラグラフから溢れる凄みだけでもウェルベックが偉大な作家であるとわかるだろう!?だってこの文章が世に出たのは1994年だぜ?インセル現象が恋愛資本主義に染まり切った社会を戦慄させる20年以上前の小説なんだ。

「君には救済も、解放もない」そうともその通り、我々の世代にも救済も解放も終ぞ訪れなかった。訪れたのは140文字と「汚い金と燃えないゴミ」くらいだったってことは、まともに物を考える奴なら同意してくれると思う。四半世紀の時を越えて、この予定調和の如く予め予見された絶望感・無能感が我ら読者の前に再び姿を現すのだ。

『闘争領域』でも軽く言及されてはいたが、今作ではよりはっきりとした形で現代フランスが置かれている農業事情に踏み込む。主人公は元モンサント職員のインテリで、農業問題について非常に明るい男だ。自分の優れた知識を環境活動家の無知を叩き潰すことに用いることで評価を受ける一方、その行いがフランスの旧来型の農業のあり方に決定的な死刑宣告となることを自覚できる程度のリテラシーも持ち合わせているし、若干鬱気味だ。ふむ、物語の出だしは悪くないぞ。

同時にこの男は、とんでもないスレッカラシだ。過去に複数の女性と関係を持ちながら、家庭を築く気概は全く無かった。若い日本人女性をセフレにしつつも、心の底から彼女の軽薄さ、スノッブさを軽蔑しており、行く先々で彼女への恨み節をぶちまける。典型的な愛することが出来ない男だ。おまけに抗鬱剤の副作用である性欲減退効果に直面している。ブラボー!!ブラボー!!

思うに、『セロトニン』のお話は、「救済も、解放もない」寂寥感溢れる時代に身を任せた、或いは抗った世代のアフターストーリーとも解釈できる。『闘争領域』において主人公の観察対象となったのは前述のラファエル君だが、今作においてその役目を演じるのは主人公の学生時代の親友でエムリック・ダルクール=オロンドという、ノルマンディーの片田舎で酪農とペンションを営む中年男性だ。だがエムリックは単なる農家ではない、由緒あるノルマン貴族の跡取りで、良心的な農場経営に拘りたいという理想を抱いて実家に帰った筋金入りのエリートだ。

だが小説が発表された今は2019年だ。この四半世紀の間新聞の経済面を追いかけていた人間でなくとも、スーパーの酒コーナーがアルゼンチン産とチリ産の安ワインに席巻されている事実には気が付いているだろう。フランスの農家を襲っている自由貿易の大洪水の威力はこの比ではない。現在EU経済圏は自由貿易促進の言いだしっぺとして、南米産の安くて国際競争力に優れた農産物の暴風雨と、中国資本の魅力とそれに激怒するアメリカの経済制裁、そして流入し続ける安価な移民労働力による社会分断に曝されている。エムリックらの理想は、こうした時勢に徹底的に叩き潰されてしまった。農業当局から完全に見捨てられ、妻はピアニストに寝取られ、おまけに莫大な慰謝料を請求される始末だ。ラファエル同様、結末が決まりきった完全に袋小路の状態だ。

ぼくたちは最初から話をここまで詰めるべきだったのだ。ぼくが、二十年以上前にエムリックの元を初めて訪ねた時から。その時彼は酪農業を始めるため実家に戻ったばかりで、ぼくはもっと平凡な管理職の仕事に就いたところだったけれども、その時この話をしなければいけなかったのに、二十年以上も先延ばしにしてきたのだ。今こそそれを語る時だった。他の二人は突然黙った。ぼくとエムリックが話し合う時が来ていた。(M.ウェルベックセロトニン』)*3

 

彼は単に幸せになりたかっただけなのだ、彼は田舎で質の高く良心的な農業をするという夢に賭けたのだ、セシルに対しても同様な夢を抱いていたのに、彼女は社交界好きなピアニストとロンドンでの生活を夢見たとんでもないあばずれということがバレてしまった、そして欧州連合だってあばずれなのだ、牛乳の割り当ての話がいい例だ、エムリックは物事がこんな風に終わるとは思ってもいなかったに違いない。*4

ネタばらしをするが、その後エムリックは自分の頭をアサルトライフルでブチ抜いて死ぬ。追い詰められた酪農家達と武装蜂起し、全国民の注目を集めた上で「象徴的行動」を取ったわけだ。主人公はこの事件を生で目撃して衝撃を受け、自分の半生はなんだったのかと自問した挙句最終的解決を図るのだ。

ウェルベックがエムリックに仮託したテーマは明快だ。それは滅び行く西欧の最後のプライドだ。『闘争領域』や『プラットホーム』で提示された、性的な意味での西欧白人男性の没落といった露悪的な匂いも無い、本質的部分において農業国でキリスト教文明の守護者たる古いフランスの良心の悲痛な断末魔だ。それ故に、言ってしまえば、本作からは遊びが全く感じられない。あまりにもリアル・タイムなネタだからだ。(続くかも)

*1:古い作品ではあるが映画『アルジェの戦い』でよりによって現在財政規律の問題でフランスやドイツからしぼられているイタリア人がそれを指摘した

*2:『闘争領域の拡大』、河出文庫、2018、p149

*3:セロトニン』、河出書房新社、2019、p202

*4:セロトニン』、河出書房新社、2019、p211